立山曼荼羅にも描かれた姥石、弥陀ヶ原の林の中にひっそりと佇み、 女人禁制を犯して入山した尼が罰を受けて石になったという言い伝えがある。 江戸時代には信仰登山の名所となっていた場所で、今では登山道から外れていますが、 歴史を感じる上で立ち寄って見る価値は大いにあります。
弘法大師様が修行したとされる獅子ヶ鼻。 立山信仰登拝/立山六禅定のひとつ「鎖禅定」の場所でもあり、 急勾配の鎖場が続くので注意が必要。 ここには2つの岩屋があり、東側には役行者、 西側には弘法大師像と不動明王像が祀られている。
江戸時代中期に建設された日本最古の山小屋。 かつては信仰登山の宿泊施設として利用されていた。 今では小さな博物館として、当時の様子がパネル展示されている。
赤ラインが江戸時代の旧登山道で、旧室堂小屋から尾根伝いに進み、一の越へとつながる。 第33番石仏から一の越までの急登が「懺悔坂」と呼ばれていた。 なお、青ラインが現在の登山道で、立山トンネル開通工事の際に、西側に移設された。
旧登山道の途中にある第33番石仏は、上記の緑マーカー部に今も存在します。 現在では残雪の6月中旬〜下旬にしか拝むことが出来ない貴重な遺跡で、 人の目に触れることの少ないオフシーズン時期だからこそ神秘的です。
今と昔を以下にまとめました。
布橋はこの世とあの世の境界と考えられ、白装束をまとって目隠しして渡る。 その行為が、死後に極楽浄土に至ることができると信じられていた。
以下は江戸時代に立山登拝する人に立山芦峅寺の宿坊で出された精進料理 当時は今よりも長くて険しい道を歩いて立山へ向かう際、この食事をとっていたと思うと感慨深いものがありますね。
|
|
|
|
|