ジャンダルム山岳会


立山旧登山道を行く

江戸時代に立山信仰で修験者が通った旧登拝道「禅定道」を巡る登山。
歴史を紐解きながら登ることで、いっそう立山の魅力に引き込まれます。


<旧道標>
立山駅のケーブルカー乗り場の裏手にある旧登山道の道標。

ここから修験者が通った山道「禅定道」を巡ります。

まずは美女平までの標高差約500mのキツい登り/材木坂のへ。
<材木岩>
途中で見られる材木岩。

マグマが冷却固結する際、収縮して岩石が柱の形に割れ、それが材木を積み上げたように見えるのが由来。

不思議ですねぇ〜

<立山杉>
美女平からブナ平にかけて自生する立山杉、その中で最も大きな仙洞スギ。

幹周9.4m、樹高21m、樹齢300年以上あり、長い間修験者の道しるべとなり、 今では観光名所のひとつのなっている。

これ以外にも普段車窓からは見られない素晴らしい立山杉が所々に生えていて、立山の自然の奥深さが伺えられる。
<お地蔵さん>
日本一の落差350mを誇る称名滝が一望できる滝見台。

その脇に笑顔がカワイイ第21番石仏が、江戸時代から長い間祀られている。

この石仏は「西国三十三番所」にちなんで、岩峅/雄山神社を起点に懺悔坂まで33体の観世音様が設置されたもののひとつ。

<弘法清水>
弘法平の木道脇にある弘法清水、修験者が利用していた貴重な湧水。

かつて弘法大師が水のない弥陀ヶ原に錫杖を地面に突き刺すと、水がわき出したと言い伝えられている場所。

当時立山登山の宿泊地であった弘法小屋の跡も今でも残っている。

弥陀ヶ原の木道を歩く。

<姥石>
立山曼荼羅にも描かれた姥石、弥陀ヶ原の林の中にひっそりと佇み、
女人禁制を犯して入山した尼が罰を受けて石になったという言い伝えがある。

江戸時代には信仰登山の名所となっていた場所で、今では登山道から外れていますが、
歴史を感じる上で立ち寄って見る価値は大いにあります。

<獅子ヶ鼻>
弘法大師様が修行したとされる獅子ヶ鼻。

立山信仰登拝/立山六禅定のひとつ「鎖禅定」の場所でもあり、
急勾配の鎖場が続くので注意が必要。

ここには2つの岩屋があり、東側には役行者、
西側には弘法大師像と不動明王像が祀られている。


役行者

弘法大師像

不動明王像

<室堂小屋>
江戸時代中期に建設された日本最古の山小屋。
かつては信仰登山の宿泊施設として利用されていた。

今では小さな博物館として、当時の様子がパネル展示されている。

<玉殿の岩屋>
室堂山荘脇から10分程、崖を下ったところにある「玉殿の岩屋」。

熊と白鷹を追跡した佐伯有頼が、たどり着いた洞窟。

阿弥陀如来と不動明王に姿を変え、立山開山のお告げを受けた場所です。
<立山開山の聖地>
その洞窟の中から山々を見上げたところ。

昔の行者様も修行しながら、同じ景色を眺めていたかと思うと、心が熱くなりますネ。

まさに立山開山の聖地です。

<旧登山道>
赤ラインが江戸時代の旧登山道で、旧室堂小屋から尾根伝いに進み、一の越へとつながる。

第33番石仏から一の越までの急登が「懺悔坂」と呼ばれていた。

なお、青ラインが現在の登山道で、立山トンネル開通工事の際に、西側に移設された。

<第33番石仏>
旧登山道の途中にある第33番石仏は、上記の緑マーカー部に今も存在します。

現在では残雪の6月中旬〜下旬にしか拝むことが出来ない貴重な遺跡で、

人の目に触れることの少ないオフシーズン時期だからこそ神秘的です。

<懺悔坂>
急勾配の懺悔坂を登り、リョウ線/一の越へ。

室堂から雄山山頂に至る登山道の中間点。

標高2700mになる坂はさすがに息が上がる、これも修行ですなぁ〜。
<雄山神社 峰本社>
信仰登山の最終地点、標高3003mにある雄山神社・峰本社。

雪の積もる頃は登山客も少なく、静かで落ち着いて参拝できます。

歴史を紐解きながらの登山は、立山の魅力を再発見することが出来てますね。

立山曼荼羅にも記載してある立山信仰登拝/立山六禅定について、
今と昔を以下にまとめました。
No 立山六禅定 現在の場所 説明
1 渡り禅定
(最初の試練)
藤橋
(立山駅近くの称名川にかかる橋)
立山開山の佐伯有頼が熊を追っていると、称名川が現れ渡れずにいたら、 猿が「藤のつる」で橋を作って通したという言い伝えがある。
現在の立山駅近くの藤橋がそれに当たる。
2 鎖禅定
(苦難への挑戦)
獅子ヶ鼻
(弥陀ヶ原)
弥陀ヶ原周辺にある獅子ヶ鼻は、鎖がないと登れない険しい岩場がある。
当時の立山信仰登拝としては最難関ポイントだったため、その名が付いた。
3 地獄禅定
(地獄の体感)
地獄谷 今でも火山ガスが吹き上げる地獄谷。
有毒ガスの濃度によっては、通行止めになることがあるので、まさに地獄の体感。
4 極楽禅定
(神との遭遇)
浄土山 室堂から浄土山へのルートは、朝夕にブロッケン現象が起きやすい場所。
その現象/輪の中に人影が入ると、まるでお釈迦様のように見えることからその名が付いた。
5 走り禅定
(無心の状態)
大走りルート 立山の大走りルートはガレ場が連続する急な坂。
下る際には滑落しないように無我夢中になることから、その名が付いた。
6 石積み禅定
(死者への供養)
雷鳥平の地塘 雷鳥平周辺には酸化鉄を多く含んで出来た赤い地塘があり、「血の池」と例えられている。
その供養のために石を積み上げた(ケルンのようなもの)ことからその名が付いた。


<布橋灌頂会>

当時の女性の登山は、立山が女人禁制だった江戸時代に、極楽往生を願う女性の救済のために営まれた儀式/布橋灌頂会。

布橋はこの世とあの世の境界と考えられ、白装束をまとって目隠しして渡る。

その行為が、死後に極楽浄土に至ることができると信じられていた。


<芦峅立山御膳>
以下は江戸時代に立山登拝する人に立山芦峅寺の宿坊で出された精進料理

  当時は今よりも長くて険しい道を歩いて立山へ向かう際、この食事をとっていたと思うと感慨深いものがありますね。




No 参考文献 著者 発行
1 富山禅定名所案内 富山県立山博物館 富山県立山博物館
2 立山道 石造物マップ 立山町教育委員会 立山町教育委員会



リンク・著作権・免責事項について
Copyright(c)2004 ジャンダルム山岳会 。 All rights reserved.
Photo by m-style. Base template by WEB MAGIC.